忍者ブログ
若奥のブログ
[3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「僕、“流星”(リュウセイ)って言う名前が良かったのに!!なんで“慎悟”なの??」「流星って誰??」「歌舞伎町のNO1ホストの名前!!」(そんな事・・・知らんわ!!!) 

昔々…若奥の母校「愛知教育大学付属高校」には2人の「モテモテボーイ」がいました。一人は「ナンパ」な「黒部くん」。今で言うと「キムタク」みたいな子でした。一浪して名古屋大学に入りましたが、浪人時代は「シトロエン」、大学に入ってからは「黒のポルシェ」に乗ってました。若奥の母校「金城学院大学」の坂に、ナンパ目的(に決まってる??)かどうかは知りませんが、黒のポルシェが停まっていたのを、よく見かけたものでした。で、もう一人の「モテモテボーイ」が「硬派」な「伊藤慎悟くん」。柔道部のキャプテンで「正統派な色男」でした。たしか…明治大学かどこかに進学したと思いますが。
「黒部くん派」か「伊藤慎ちゃん派」の2つに分れ、若奥は「伊藤慎ちゃん派」でした。だから密かに「伊藤」と言う苗字の社長と結婚が決まった時から、男の子が生まれたら、絶対「伊藤慎悟」と決めていました。(社長、今までナイショにしててスミマセン!!!)

卒業アルバム伊藤慎ちゃんこの話を息子の「伊藤慎悟」にしたら「ふーん・・・」と無関心を装いながら、すぐに若奥の「高校の卒業アルバム」で「伊藤慎悟」とはどんな人物かをチェックしたみたいです。そりゃあ、気になりますよね…普通は・・・。
「おかあさん、伊藤慎悟ってヘンな顔じゃん・・・」「余計なお世話だわ、アンタよりずっとカッコイイわ!!」」と言っておきました。

PTA会員名簿伊藤慎ちゃんおまけに「PTA会員名簿」でも「伊藤慎悟」を探したらしく・・・「ねえ、伊藤慎悟の家、“工場経営“だって。金持ちじゃん」だって。(愛教大付属高校の生徒名簿には親の職業の記入欄あり)




「で、店長、慎悟君は“黒部くん?”“伊藤慎ちゃん?”どっち??」加工部の生田さんが言いました。
「そりゃあ・・・モロ、“黒部くん”に決まってるじゃん!!!」  
  ・・・・・・・・「一同、大笑い」・・・・・・・・・ 
「硬派な男になって欲しい・・・」という母の願いは、神様には全く届かなかったのでした。アーメン!!!

PR
聖子ネタ第3段です。

あのテレビ番組を見てから、ずーっと頭の中が「聖子ちゃんモード」です。仕事中は「赤いスイトピー」が頭の中を流れ・・・、でもそのおかげで、若奥「常にモチベーション上がりっぱなし」「充実の毎日」で、かえって仕事にはプラスかも…です。そして…特に…ベンツ運転中がヤバイ!!!。聖子ちゃんはマイクを右手で持って左手で踊るので(森高千里は逆ですが)、大声(大口)で歌い、右手でハンドルを持ち、左手は振り回し…。おまけにオートマなので、左足も踊りっぱなし。(すごく忙しい…そして疲れる) 対向車に見られてもへっちゃら、自分の世界に入ってます。ずっと「青い珊瑚礁」と「時間の国のアリス」のリバースです。この2曲は、歌詞カード無くてもフルコーラス歌って踊る自信…今でもあります。

15年前に、社長のいとこの「玲子ちゃん」が「レンタルブテック」を経営していました。若奥は「聖子ちゃんになるため」にドレスを安く譲ってもらっていました。後々、時代の流れで、「レンタルブティック」は閉店しましたが、その時に、ごっそり買い込みました。あの頃の若奥は…休みの日には昼間から一人でカラオケボックスに行って(ドレス持参)、聖子ちゃんになりきって、歌って踊ってました。(子供は・・・保育園)
その頃の川平屋の宴会(忘年会とか、売り出し終わってお疲れ様会とか)には、男性社員、問屋さんに「ドレス」着せて、カツラかぶって化粧して、バカ騒ぎしてました。他の宴会にも乱入した事も。(若奥の命令ではありません。みんな結構喜んでやってましたよ)
ここで若奥の「聖子なりきりドレスコレクション」を一挙公開いたします。
社長専用

社長専用ドレス。
スパンコールがエロい。
いつも「イヤリング」お気に入りでしてました。






浜島専用
社員H君専用ドレス。
暴れすぎて、はちきれて、破れてる。
でも、ファスナー上まであがらない。
そして・・・臭い。
かつらはいつも「芸者バージョン」だったが、
相撲取りの「マゲ」みたいだった。
化粧は・・・下手。(濃すぎる)




問屋専用
問屋さん専用ドレス。
悔しいけれど・・・そこいらの女性より、よっぽどかわいかった人もいました。
特に元社員のNくん。若奥、負けそうでした。
しかし・・・「化け物」の人もいました。






「ドレス着て踊ってる写真」もありますが、お見せ出来ないのが残念です。(本人の名誉のため。特に…社長)

eed4f1fajpeg71782d16jpeg6ec2df33jpegd25874c7jpeg










e10898f0jpeg08b2b09cjpeg335dcf23jpeg










先日「浜島くん」と、「また久しぶりに、昔みたいに“バカ騒ぎ”したいね!!!」と話をしていました。今度宴会等で召集かかったら…問屋の営業の皆様は・・・「足のスネ毛」はちゃんと剃ってくる様に!!!
先回から引き続き「聖子ネタ」です。(今回は“カルく”いきます)

若奥は18才の「女子大生時代」から35才までずーっと「ロングヘアー」でした。「着物は髪をアップにするのが当たり前」と信じていた若かりし頃。でもある日、ダイスキな聖子ちゃんが髪を切ったと噂で聞き、そんな・・・まさか・・・と思っていましたが。
with社長12月の聖子ちゃんの「クリスマスディナーショー」で聖子ちゃんを1メートルの距離で見て、「本当に切っちゃったんだ・・・」と思った次の日、当たり前のように聖子ちゃんの写真を片手に「これと同じにしてください」と、髪を切りました。まわりの人は「ちょっと…どうしたの?何かあったの?」すごく心配してくれましたが、私が「聖子ちゃんが髪を切ったから」と言ったとたんに納得しました。
この写真は、その髪の毛を切る前の日に、社長と行った「松田聖子ディナーショー」の時の写真です。(まだ二人とも若かったし、仲もよかった??)



お揃いの着物実はこの着物は…「聖子ちゃんとお揃い」なんです(ちょっと自慢です)。というより…「世界で私と聖子ちゃんしか持っていない」ものです。聖子ちゃんが紅白歌合戦でミッキーマウスのヘアスタイルで着ていたあの着物、覚えありますか?帯揚げ、帯締め、ティディーベアーのぬいぐるみに至るまで(ぬいぐるみが実は高かった)そのもの"ズバリ"です。今でも「雪の結晶の着物」に「ティディーベアの帯」の組み合わせは、若奥の"勝負着物"として大活躍してます。クリスマスシーズン限定で、「ここぞ(勝負!!)」という時だけに着てます。海外進出(上海)もしました。




そうそう、このディナーショーの時・・・信じられない事が・・・。ショーが始まり会場が暗くなった瞬間・・・社長は寝てました。ワイン飲み過ぎて酔っぱらって。おまけに"イビキ"までかいて・・・。信じられない!!!一人48,000円もしたのに!!!豊田キャッスル・写真室の田中社長に裏から手を回して、やっととってもらったチケットなのに!!!若奥は感激して"ウルウル"してるのに!!!なんで寝られるのかな!!!
おまけにショーが終わって外に出たら、錦のクラブのオネエチャンと会場出口で会って「今度飲みに行くから」なんて話をしてるし・・・。「こんな人とは・・・2度と来るもんか!!!」と堅く決心した若奥でした。

今でも必ず毎年、聖子ちゃんのディナーショーには「一年のご褒美」で行かせてもらってます。仕事より優先です。もちろん・・・2度と社長とは行かない!!!
今、NHK総合で「松田聖子ドキュメンタリー」を見てました。
今朝、会社に行ったら、松谷さんが「奥さん、今日の夜、松田聖子テレビでやるよ。見なくっちゃ。」と教えてくれました。昼には娘からメールがあり「お母さん、今夜ね・・・」、夕方にはお友達の「真奈ちゃん」からもメールがありました。残業も、スポーツクラブに行くのも中止してさっそく家に帰り、9時から早々とお風呂に入り身を清め(こんなに早く風呂に入るなんてめったにない)、息子の慎悟くんにビデオを撮ってもらうようにお願いし、一人で”誰にも邪魔されないように”部屋に鍵をかけて、テレビを見ました。
私が「なぜ、松田聖子なのか・・・」という答えを出してくれた番組でした。「私の生き方は・・・これで良かったんだ・・・」と確信できました。聖子ちゃんの娘「さやかちゃん」が「母・松田聖子」について語る場面あたりから、涙が止まりませんでした。私の子供たちも、彼女と同じ気持ちでいてくれる事を願います。「本当は・・・寂しかったんじゃない???」子供たちがもう少し大人になったら、聞いてみよう・・・と思います。
番組が終わってパソコンに電源を入れたとき、慎悟くんが「はい、これ」と言ってビデオを持ってきてくれました。「お母さん、頑張っていると思う?」って聞いたら「ふつう」って言いました。「でもさあ、なんで“カウントダウンライブ”行かないの?あんなに好きなのに」「だって、正月も仕事じゃん」「アッ、そうか」
番組の途中で、聖子ちゃんが「子供を生んで良かったか?」と聞かれて「もちろんです」と答えていましたが・・・。その瞬間「号泣」でした。私は常々、「今、私は幸せで、私の人生、後悔することは何も無いけれど・・・しいて言えば・・・子育てがしっかり出来なかった事かな・・・」と言っていますが、今この番組を見て思ったことは・・・。「私は私なりに、この子達を精一杯愛してきた。普通の人たちとは違った部分で、子育てはしっかりやってきた」 思いやりのある、やさしい子に育ってくれた子供たちを見て、間違ってなかった・・・と思ってます。
私の隣で「赤いスイトピー」を歌いながら「明日、お弁当作ってね。もう、いつも手抜きなんだから・・・。まあ、いいけどね」と部屋を出て行く息子。「私は幸せ者だなあ・・・」と思い・・・炊飯器のスイッチを入れに行く若奥でした。

あやか若奥の娘の綾花は、この春に大学生になりました。南山大学の経営学部に進学し(すみません、エスカレーターで、楽して入学しました)将来は「税理士」に…と、若奥が勝手に決めてます。(実は…就職先も知り合いにお願いしてあります。M経営事務所「亀井さん」よろしく♪)




あやかメモ推薦だったので春休みが長く、自動車学校通いがメインで、高校の部活にも時々顔を出していて、とても忙しい毎日。それでも人並みに「アルバイトがしたい」と言う事で・・・。なにせ…「スーパー箱入り娘」なのでアルバイト禁止。その代わりに川平屋の経理を手伝う…と言う事で、簡単な事務仕事をしています。

そんな綾花が、生まれて初めて貰ったバイト代20,000円。娘は嬉しくて、とりあえず「勢い」でうちのおばあちゃんに「おばあちゃん、1万円あげる!!」そしたらおばあちゃんは「ありがとう。助かるわ!!」と言って,当たり前のように娘のバイト代を貰っていったそうです。娘は…「気持ちだけ頂くから…」みたいな返事が帰ってくるとばかり思っていた様ですが…「やられた!!!」。でも、「日頃、いろいろ世話になっているから、まあ、いいか」と言ってました。

それよりも…すごい事が!!!若奥のお母さんが癌で入院中、亡くなる2週間くらい前に、うちのおばあちゃんはお見舞いに行って、癌患者の母に「いまからジャスコに買い物に行くけどお金がないから、お母さん、お金貸してもらえんかねえ…」「いいよ、お母さん、私はもう長くないし、孫がいつもかわいがってもらっているから、このお金、好きなように使って!!!」と言って一万円貰ったそうです。綾花はその時にその現場にいて「信じられない!!!癌患者からお金せびるか???」と言ってました。「でも、考えようによっては、うちのおばあちゃんて、純粋でかわいいね」とも言ってました。

「世の中にはいろいろな人がいる…」世の中に出る前に「伊藤家」で「いろいろな人がいる」事を勉強させてもらった綾花でした。これからもアルバイトに励んでくださいね。……母より……

PS
「綾花とお友達との会話」その①
友達「私ヒモノ屋でバイトしてたんだよ!!!」
綾花「えっ偶然、私もキモノ屋でバイトしてたんだよ!!!」
 ”ヒモノとキモノ”良く似ているけど…ちょっと違う???微妙な発音にはご注意を!!。
 
「綾花とお友達の会話」その②
自動車学校の路上研修中、教習車の中での綾花と、友達の彩ちゃんと、27歳の教官との会話。向こうからベンツが来ました。
教官27歳「あっ、ベンツだ。いいな、いつか僕もベンツ乗りたいな…」
友達の彩ちゃん「私たち2人とも、お母さんベンツだよ!!!」
うちの綾ちゃん「・・・・・・・」(無言)
教官「えっ、おうち、仕事何やっているの??」
友達の彩ちゃん「うち、開業医。綾んちは着物屋さん」
うちの綾ちゃん「・・・・・・・」(恥ずかしげにうつむき加減))
教官「・・・○×△・・・・・」(無言)

プロフィール
HN:
川平屋 若奥
性別:
非公開
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[09/21 くりりん]
[09/21 くりりん]
[05/15 ふく]
[01/27 junko]
[09/20 kobayashi]
最新トラックバック
ブログ内検索
アクセス解析
カウンター
フリーエリア
にほんブログ村 ファッションブログへ
アクセス解析
Powered by ニンジャブログ  Designed by 穂高
Copyright © 愛知県豊田市の振袖・着物専門店 川平屋若奥のブログ All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]