母が倒れて一夜明け、いよいよ母の死が現実になりつつある時・・・。
私は何が何でも「娘を大切に育ててくれた母への恩返し」と思い、娘の綾花に「伊藤家の家紋」の入った喪服を「絶対に着せよう」と思いました。十三参りの時に白生地から染め、紋も入れ、「19の厄払いに仕立てよう」と以前から決めていた喪服を、皮肉な事に19歳になったその日に仕立てることになりました。神様は、全てを知っていたとしか思えませんでした。
社長に「母の事は社員には絶対言うな」と言われていましたが、加工部の生田さんにだけは事情を説明し、2日間しかない、メチャクチャ無理を言っていることは重々承知でしたが、「生田さん・・・ゴメン…なんとかお願い・・・」「わかった。大奥さんの為に何とかするからね。任せて!!」
その喪服は、通夜の夜に、無事仕立て上がってきました。きっと仕立て屋さんは、徹夜して縫ってくれたと思います。「私が大奥さんにしてあげられるのは、こういう事くらいだから・・・」そう言って仕立ててくれた仕立て屋さん、本当にありがとうございました。
通夜には、私は実家の母の墨色の喪服を、娘には私が嫁入りに持ってきた紫の色無地を着せました。そして、家族しか知らない事ですが、棺の中の母にも、母がつい最近までよく気に入って着ていた鶯色の色無地を着せてあげました。葬儀屋さんが「本当にいいんですか?一緒に燃やしちゃいますよ」と何度も言いましたが、今日まで呉服屋の奥さんとして頑張ってお店を守った母。そんな母の最期には、どんな高価な着物を着せてあげても惜しいとは思いませんでした。それよりも、母の着物、私の着物、娘の着物と、3人とも「横モッコウの紋」(私の実家も偶然同じ家紋でした)が入っている着物を3人が着ている事で、「美保子さん、あなたは喪主の妻だから、泣いてないで頑張りなさい」母の声が聞こえてくるようでした。
常々、お客様には、「背中の家紋は、ご先祖様が守ってくれている」と偉そうに言っていますが、この時は本当に母に、また伊藤家の先祖に守られていると言う気がしました。そして、「これから私がこの家を守っていくんだ・・・」という気持ち、快いプレッシャーを感じました。
今回、通夜・葬儀と、社員達は受付け・案内係・社長の秘書・・・と、本当によく手伝ってくれました。しかし私が何よりうれしかった事、私が世の中全てに自慢できる事。
別にお願いしたわけでもないのに、社員全員が「色無地に黒の帯」という姿で参列してくれた事でした。受付で14名の着物を着た社員が立ち,お客様をお迎えし。ほとんどの弔問の方が父・社長の公職の関係で参列してくださっていて、きっと母のことなんて何も知らない方たちだと思いますが、でもそんな人達にも「故人はすごい人だったんだ」と感じて頂けるような、社員の「凛とした姿」でした。最後に、皆揃って焼香をしている姿、母の遺影に手を合わせている姿は母にはしっかり見えていて、本当に喜んでくれていると思いました。
後日、通夜・葬儀に参列頂いた方の何名かに「さすがだね・・・」「こんな着の人が多い葬儀は、最近見た事無い・・・」というお言葉を頂きました。「お母さんはいい社員に囲まれ、幸せだったね」 社員には感謝の気持ちでいっぱいです。また、葬儀を通じて、社員同士の絆が深まった様な気がします。母がそうさせてくれたのだと思っています。
そして・・・葬儀には「女優・中村玉緒」という花が届いていました。玉緒さんから弔電も頂きました。これは「やらせ」ではなく、母と玉緒さんはつい先日も会って親しく話をし、またの再会を楽しみにしていた仲でした。玉緒さんも、母の死にとても驚き、悲しんでくださったそうです。今でも、仏壇の前には、母と玉緒さんの2ショットの写真が飾ってあります。2人とも本当に楽しそうに微笑んでいます。
母の人生は、着物で始まり着物で終りました。私もまだまだこれからですが・・・「着物が全ての人生」に出来るよう、母をお手本にし、毎日を頑張りたいと思います。