先日、やはり「眉山」を見に行って感動した!!…と言う、京都の問屋の営業マン「小林くん」(先回の若奥のブログにコメントをくれたのが彼です)が川平屋にやって来ました。今回、川平屋がオリジナルで企画・製作した黒紋付(喪服の事)、その名も…「絆(きずな)」の商品説明・企画説明をする為です。若い社員を前に、「“眉山”の中で、松嶋菜々子が母の着物を着ていたシーンに感動した」と力説してました。「親が子を思うが故に、娘のために用意する…それが“絆”」と言ったかどうかは…すみません…忘れてしまいましたが…。
若奥のお母さんは昨年10月、卵巣癌で亡くなりました。母の葬儀の日、若奥は母が用意してくれた黒紋付が一式あるにもかかわらず、喪服の帯は母の帯を結び、葬儀に出席しました。この事は、誰も知らないと思います。
母が亡くなってから、母の遺言もあり、着物はほとんど「一人娘」の若奥が貰いました。その日以来、何か「頑張らなきゃ」の時(母に見守って欲しい時)には、何か1つ、母の物を身に付けるようにしています。本当はまだ娘として母に甘えたかった…ずっと私のそばにいて欲しかった…そんな気持ちが心のどこかにあるからでしょうか…。
今回、川平屋オリジナルで黒紋付「絆(きずな)」を企画・制作し、「絆とは・・・」「なぜ黒紋付は必要か・・・」を収録した「黒紋付DVD」なる物を製作しました。このDVD撮影のために京都まで行きました。着物研究家の「毛利ゆき子先生」に監修をお願いし、若奥と毛利先生の対談のシーンもありますが、その収録の日も、母が大好きでよく着ていた「結城紬のうさぎの柄の帯」と「珊瑚の帯留め」をしていきました。
6月2日、父の3回忌には、若奥は母が法事によく着ていた「1ツ縫紋入り、泥染の大島の無地のきもの」を着ようと思います。「父の一周忌までは死ぬわけにはいかない」と、去年の今頃、もう自分は長くないとわかっていたであろうに、抗癌剤治療中に病院を一時退院し、一周忌をつとめた母。喪主である弟がみんなの前でお礼の挨拶をし、「哲っちゃんがこんなに立派に挨拶が出来る様になって…」と感動して泣いている「敦子おばさん」の姿を見ながら、「哲史もお父さんに代わって立派に挨拶が出来るようになったし、なによりあんた達兄弟が仲がいいし…。もう私は安心してお父さんの所に行けるわ…」と言っていた母。それから5ヶ月で、父の所に行ってしまいましたが・・・。
「母と娘の絆」は…母がなくなった今も、永遠であると信じています。今現在、私にも娘がいて、そして…私と娘「綾花」の絆も、これから徐々に築いていけたら・・・と思います。母が私にしてくれたように…。