「ホテルはオリエンタル・バンコクじゃなきゃイヤだ」と言ったら「そんなワガママな人は留守番してなさい」と言う事で、留守番になりました。
タイ旅行の計画を立てたすぐ後に、若奥のお父さんが「膵臓癌・余命3ヶ月」と宣告されました。若奥のプチ家出は、仕事が一番ヒマな6月の終り頃という「期間限定」なので、「まあ、今年は無理かな」とあきらめてましたが…。父が亡くなる一ヶ月前に、毎晩病室に泊り、朝5時に家に帰り…の生活をしていた頃、父とは一生分くらい話をしました。父も以前バンコクに行き、オリエンタルホテルに泊ったこと、チャオプラヤー川をクルージングしたこと、アユタヤに沈む夕日が最高に綺麗だったこと。「実はね、私、タイに行きたいんだ…」そう言う若奥に、父は「行きたい時に行っておかないと後悔するぞ。人生は一生に1度だぞ」と言いました。
父は結局、2ヶ月と20日で亡くなりました。49日も過ぎない頃に、母に「タイに行きたい」と言ったら、絶対にダメだと言うと思った母が「どうせお父さんにも同じ事言ったんでしょ。行ってこれば?」と言ってくれました。
「サヨナライツカ」の小説の冒頭は「人は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと、愛したことを思い出すヒトにわかれる。私はきっと愛したことを思い出す。」で始まります。私はどっちだろうか…と考えます。きっとその答えは「死ぬ瞬間」にならないとわからないと思います。もし「愛されたことをを思い出す」のであれば…きっと父の事を思い出すと思います。
6月2日、あと一ヶ月で父の2回目の命日です。
PS…
結局「タイに忘れた物」は…「癒しの時」と言うことがわかりました。でもまた、タイにあえて…忘れてきました。また探しに行くために…。
昨日、社長がタイ(バンコク)に出かけました。今回は「宝石の研修」という事で、社員も一緒に行くのですが、皆は3泊4日なのに社長だけ5泊6日。タイの後、一人でマカオに行って、カジノ…だそうです。仕事で行くなら仕事だけで帰って来いよ!!!そんなところで、無駄なお金使わなくてもいいのに!!!
と言うわけで、一人だけ「キャセイ航空」利用。若奥は朝7時に、名鉄トヨタホテル前のセントレア行きバス停まで、社長を送っていきました。徒歩7分、歩いていけばいいのに…。でも、乗り遅れてセントレアまで送って行くよりはマシ…と思い、いつも送って行ってます(社長さんはエライ様なので…) 送る時「行ってらっしゃい」とは絶対言いません。「絶対に何も買ってきたらいかんよ!!」と言って送り出してます。
次の日「あのバックどうした?」と聞かれ「約束通り、ゴミの日に出したよ」 社長はあわててゴミ収集場に見に行きましたが…バックはもうありませんでした。「アナタに言われたとおりにしただけだよ。約束破ったあなたが悪いんでしょ!!」社長は若奥の「体育会系・大物ぶり」知ってるので、泣く泣くあきらめてました。
…と言うのは・・・実は・・・“ウソ”でーす!!!…
「ケチ」で有名な若奥が、そんなもったいない事するわけナイじゃんねー!!先日お雛様探しに実家に言った時、弟のお嫁さんが「おねえさん、そろそろ持っていったら?」と、お蔵からバックを出してきてくれました。何をかくそう・・・若奥も「かくまってもらっていた」事、すっかり忘れてました。それからベンツのトランクに積みっぱなしで、はや2ヶ月が経ち、今更どうやって渡そうか…と思ってましたが…。
このブログを見た社長へ。プラダのスーツバックはベンツのトランクに入ってます。どうぞ、勝手に、持って行って下さいませ。
今回の京都は「出張」というよりも「作家の工房見学」&「お疲れさん会」でした。社員総勢16名、一泊2日の日程ですが、若奥は「京都エクシィブ・八瀬離宮」の宿泊を拒否して、あえて「日帰り」にしました。「エクシィブ・八瀬離宮」は「なぜ?こんな所に?こんな立派なものが??」と思うほど素敵でした。その瞬間「お泊り」にも少し・・・未練・・・でした。
エクシィブを出たのが10時30分。祇園でプラプラして、バーで石田君と仕事の話で盛り上がり、祇園を出たのが12時33分。家に着いたら2時28分。高速道路では、ずっと「追越車線」を前のトラックをアオリながら走ってきました。(車線変更ミラーの都合で困難なため)
理由その②翌朝6時からの「名鉄トヨタホテル」で開催の「倫理法人会・モーニングセミナー」に出席するため。今回の講師はダイスキな「戸塚先生」。先月バレンタインチョコのお返しにクッキーをいただいて、そのお礼も言わなきゃ…と戸塚先生に会いたい一心…で、若奥はバブリーな「八瀬離宮宿泊」よりも「日帰りコース」を選択したのでした。
まあ、そんなこんなで今日はとっても眠いですが(睡眠時間1時間半)、なんだか気持ちがすっきりして・・・これで「袴着付け」の疲れも取れ、売出しの疲れも取れ、「さあ、また今週も・・・がんばろう!!!」の、若奥でした。
……「祇園の桜…本当にきれいでした。」……
その後「伊藤家のお墓」へ行きました。今回の売出しは3週間連続の「ロングラン」でした。実は若奥は先々週だけ、毎週「絶対欠かさず」に行っていたお墓参りに「お彼岸」という事で父と母に任せ、行かなかったのでした。そうしたらその週だけ「売上最悪」。多分偶然だと思いますが、でも若奥は、「人に任せてお参りに行かなかった自分のせい」だと思ってます。すごく「反省」してます。ちょっと疲れてて(心も体も)自分自信に負けてしまったみたいです。
「バックネタ」続きです。
若奥はいつの頃からか「着物には絶対シャネルのバック」と決めてます。「シャネルのバックが似合う着物=私のキモノスタイル」と言った方が良いのかも。シャネルは・・・大好きです。で、なぜシャネルなのか・・・と言うと。若奥の尊敬する「松田聖子ちゃん」がシャネル愛好者だからです。ただ単に聖子ちゃんが大好きだから。(「ベンツ」も聖子ちゃんの真似で乗ってます)
なーんて「シャネラー」気取ってますが・・私はシャネルのバックはこれ1つしか持っていません。前に使っていたのが傷んだので、同じ物を買い換えて2つ目です。なぜこのバックなのか語らせていただくならば・・・。本来はショルダーバックですが、内側でひもを結べば着物に合う紐の長さになります。(これは聖子ちゃんの真似をしたわけではありません)数あるシャネルのバックの中でも着物で持つなら、このタイプが一番だと思います。そして、この皮質(ザラザラ)がまたいい!!丈夫で、少々乱暴に扱っても大丈夫!!(若奥は乱暴者??)
今使っているこのバックは、私が40歳になる1ヶ月前に「私の人生は何だったんだろう」と思った時、「そうだ!!!ニューヨークに行こう!!!」と勢いで行ったニューヨーク・5番街のシャネルのショップで「This one please」と片言の英語で指差しで買った思い出深いものです。今思えば・・・英語も全く喋れないのに、よくもまあ1人でNYに行ったな・・・と思います。なぜニューヨークか・・・と言うとこれもまた「聖子ちゃんが住んでいた町だから」と言う単純な理由です。
若奥は「松田聖子」という人物のおかげで、人生励まされ、エネルギーをもらい、エネルギーが余ってNYまで行ってしまったのでした。おまけに
(聖子ちゃんについては・・・また次回語らせていただきます。お楽しみに・・・)