昔から慣れっこなんですが・・・。疲れると腎臓の具合が悪くなる。顔がムクむ。ブサイクになる。いつもの事で…近くの行きつけの薬局で「利尿剤」をもらい、水をがぶ飲みして、とりあえず治る・・・の繰り返しです。
今回たまたまトイレットペーパーを買いに行った「スギ薬局」で、「ついでに・・・」と思い、「すいません…利尿剤ください」と薬剤師のお兄さんに言ったら、「こちらになります」と言って「ハルンケアー」を勧めてくれました。
「ハルンケアー??それって尿モレの薬じゃん!!!」若奥って…尿漏れするように見えたのかな…。失礼しちゃう!!!
その後、結局近くの「H薬局」行ったら、「ははは・・・スギ薬局と漢方専門のうちの違いがわかったか!!!」と言われました。
[スギ薬局」と「漢方専門の薬局」
「川平屋」は・・・どっちを目指すべきか・・・考えてしまいました。色々考えたあげく・・・欲張って「よし!!両方にしよう」思いました。浴衣しかり、振袖しかり。「あそこに行けば、いい物からお値打ちな物まで、なんでもあるよ」と言われる呉服屋になりたいと思います。(欲張りですが・・・頑張ります!!)
と言いながら・・・「あっ忘れとった!!」と「利尿剤」を飲みに行き、ついでにコップ3杯の水を飲む若奥でした。
PS
今回「腎臓が痛い」(注:腰が痛いと言う意味)と大騒ぎしていたら、社員みんなが心配してくれました。「奥さん倒れたら・・・川平屋はどうなるの??」「ダメだよ、奥さん、無理したら・・・」なんて。すごくうれしかったです。病気なんてものは・・・薬もだけど、周囲の人たちの「やさしさ」で治ってしまうものかもしれない・・・なんて思ってしまいました。 ・・・もう元気!!頑張ります!!・・・
昨日、社長に「アナタのブログ読んでると、なんだか俺たちすごく仲が悪いみたいだけど…」とチェック入れられました。いかん、いかん…。タマには「仲の良いところ」もお見せしないと…。
5月1日から、浴衣が店頭に並びました。ドハデな浴衣からかわいい浴衣、シブイ浴衣…などなど。店頭のディスプレーもなかなか「イイ感じ」で(沙織ちゃん、ご苦労様でした!)、自分で仕入れてきた商品(と言っても柄選びは若い社員)なので、今年の川平屋の浴衣は、一人でも多くのお客様に、ご覧になって頂きたいなーなんて思ってます。「ジャラジャラもの」「ヒラヒラもの」から「正統派なお嬢様風」まで、ゆかたのアクセサリーもたくさん揃ってます。「私が絶対イチバン!!」を目指すお客様は、ぜひ川平屋にご来店くださいませ!!!
ところで・・・「呉服屋の社長&若奥」の着る浴衣、どんな浴衣を想像されますか?まさか…普通の浴衣なんて誰も期待していないですよね…。
14年前、店舗改装をする…と言う事で、名古屋市植田の「むらせ」という呉服屋さんに、問屋さんの紹介で見学に行きました。そのお店の店頭にディスプレイしてあったのがこの浴衣です。奥さんのオリジナルだそうで、見た瞬間に「コレだ!!」と思い、即、わけて頂きました。社長の浴衣は「ラサール石井さん」とお揃いだそうです。
この写真は「おいでん祭り」の花火の日、矢作川の桟敷席でナイアガラをバックに撮った写真です。この頃若奥はまだロングヘアーで、「ハジケついで」にカツラをかぶって「コワイもの無し」、社長と二人「ノリノリ」&「ラブラブ絶好調」でした。この時のカツラは、その後、若奥がショートヘアーにしてしまったのでもういらないかな…と思っていましたが。4年前に、卵巣癌を発病し、その後抗癌剤治療の副作用で髪の抜けてしまった若奥のお母さんが「ちょうどいいわ…」と、かぶってました。その頃まだ元気だった父が「そのカツラかぶると、お母さんと美保子は良く似ているなあ・・・」言っていたのを、今でもこの写真を見ると思い出します。
昨年のおいでんの花火大会「川平屋夏祭り」の日にも、社長&若奥は、この浴衣を着ました。社長は不思議と…この「ドハデな浴衣」が良く似合います。おじいさん、おばあさんになっても、この「ラブラブゆかた」をヘッチャラで着られる、そんな2人でありたいと思います。
詳しくは…5月10日以降の「川平屋ホームページ・ゆかた美人.com」をご覧下さいませ。昨年の「川平屋夏祭りドキュメント」を掲載する予定です。お楽しみに…。
サヨナライツカ
永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて
いつかコンニチワがやってくる
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す
そして、あとがきは、「この小説を、愛に生き、愛に苦悩する全ての人に捧げたい。」で締めくくられています。
若奥は、ここしばらく、ブログが書けませんでした。パソコンに触ることすら出来ない。こんな事初めてで、" 自分でも自分にビックリ"でした。原因は…今思えば「自分自身」だったと思いますが。
社長がタイから帰ってから社長のする事すべてが気に入らなくて、ずっとイライラしてました。真剣に家を出ようか…と思いました。子供にヤツ当りとしか思えない質問をしてみたり・・・。「お母さんが病気で死んじゃうか、それとも家を出るか、どっちがいい?」 「お母さんが病気になっちゃう方がイヤだ。私たちは我慢するから・・・家出てもいいよ…」なんて、一番言わせてはならない言葉を言わせてしまったり。
どうすればいいのか…救いを求めるような気持ちで…「サヨナライツカ」を読みました。 (本も…何を思ったか…2冊も買ってしまいました) 1行1行読むたびに、胸が苦しくなるのがわかりました。主人公の男性「豊」と昔の自分があまりにもそっくりな過去を持ち、「胸が苦しい原因」は…「後悔」の2文字という、中途半端な答えが出ました。1度読み終えても、「自分は、だったら、どうすればいいのか…」がわからなくて、もう1度読み返しました。
2度目を読み終えた後、私は「愛されたことを思い出す」か「愛したことを思い出す」かをあらためて、真剣に考えてみました。「私は絶対、愛したことを思い出すだろう」と思った瞬間に。
「後悔を美しい思い出に変える為に、今を真剣に生きなければならない。」と、辻仁成は書いています。「昔の恋を懐かしく思うのは、今の自分が幸せだからこそ♪」とユーミンも詩にしています。私が「なぜブログを書けなかったか?」…の答えは・・・。「今の自分が幸せだから…」でしょうか。それともう一つ思ったこと・・・。タイに行った社長へのジェラシーも有り・・・かな。
以前のタイ旅行に言った時の事。着物を着ていたせいでしょうか…、オリエンタル・バンコクの人達に、2日目からは「ミセス伊藤、カックンカ(こんにちわ)」「ミセス伊藤、お帰りなさい」と名前を覚えて頂き、すごく感激した覚えがあります。最後の日、ホテルの玄関でタクシーに乗り、空港へ向かう私に、「ミセス伊藤、お元気で」スタッフの人たちが手を振って見送ってくれました。タイに滞在中に皆に優しくしてもらったことを思い出し、空港へ向かう間中、涙が止まらなかったことを思い出しました。
7月の初め、私の誕生日に、再びタイに旅行に行くことに決めました。今朝、「オリエンタル・バンコク」宿泊の予約しました。
「今の自分が幸せだから…」行ってきます。
「ホテルはオリエンタル・バンコクじゃなきゃイヤだ」と言ったら「そんなワガママな人は留守番してなさい」と言う事で、留守番になりました。
若奥は2年前の夏に、タイに「プチ家出」しました。「ニューヨーク」に引き続き、2度目の「プチ家出」ででした。以前に社員旅行でタイに行った時に、何故だかこの国に忘れ物をしてきたような気がして、忘れた物を探しに…の「家出」でした。その頃、辻仁成(中山美穂のダンナ様)の「サヨナライツカ」という小説を読む機会がありました。この小説は「オリエンタル・バンコク」が舞台で、そこのコンシェルジェの女性が主人公です。この本を読んで以来、なぜか心引かれるものがあり、「いつか絶対に、このホテルに泊まりたい」と思ってました。
タイ旅行の計画を立てたすぐ後に、若奥のお父さんが「膵臓癌・余命3ヶ月」と宣告されました。若奥のプチ家出は、仕事が一番ヒマな6月の終り頃という「期間限定」なので、「まあ、今年は無理かな」とあきらめてましたが…。父が亡くなる一ヶ月前に、毎晩病室に泊り、朝5時に家に帰り…の生活をしていた頃、父とは一生分くらい話をしました。父も以前バンコクに行き、オリエンタルホテルに泊ったこと、チャオプラヤー川をクルージングしたこと、アユタヤに沈む夕日が最高に綺麗だったこと。「実はね、私、タイに行きたいんだ…」そう言う若奥に、父は「行きたい時に行っておかないと後悔するぞ。人生は一生に1度だぞ」と言いました。
父は結局、2ヶ月と20日で亡くなりました。49日も過ぎない頃に、母に「タイに行きたい」と言ったら、絶対にダメだと言うと思った母が「どうせお父さんにも同じ事言ったんでしょ。行ってこれば?」と言ってくれました。
タイには着物で行きました。これも父親との約束です。父の骨をビニール袋に入れて内緒で持って行き、チャオプラヤー川を上りアユタヤにさしかかる頃に、川に蒔きました。「お父さん、ありがとう」と大声で叫びながら。父は、人にすごく厳しい人でしたが、私にだけはバカみたいに優しく、私だけをすごく愛してくれていました。父が頑張って仕事をし、会社を経営してくれたおかげで、私は何不自由ない生活をさせてもらいました。
「サヨナライツカ」の小説の冒頭は「人は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと、愛したことを思い出すヒトにわかれる。私はきっと愛したことを思い出す。」で始まります。私はどっちだろうか…と考えます。きっとその答えは「死ぬ瞬間」にならないとわからないと思います。もし「愛されたことをを思い出す」のであれば…きっと父の事を思い出すと思います。
6月2日、あと一ヶ月で父の2回目の命日です。
PS…
結局「タイに忘れた物」は…「癒しの時」と言うことがわかりました。でもまた、タイにあえて…忘れてきました。また探しに行くために…。
昨日、社長がタイ(バンコク)に出かけました。今回は「宝石の研修」という事で、社員も一緒に行くのですが、皆は3泊4日なのに社長だけ5泊6日。タイの後、一人でマカオに行って、カジノ…だそうです。仕事で行くなら仕事だけで帰って来いよ!!!そんなところで、無駄なお金使わなくてもいいのに!!!
と言うわけで、一人だけ「キャセイ航空」利用。若奥は朝7時に、名鉄トヨタホテル前のセントレア行きバス停まで、社長を送っていきました。徒歩7分、歩いていけばいいのに…。でも、乗り遅れてセントレアまで送って行くよりはマシ…と思い、いつも送って行ってます(社長さんはエライ様なので…) 送る時「行ってらっしゃい」とは絶対言いません。「絶対に何も買ってきたらいかんよ!!」と言って送り出してます。
去年の秋、豊田市の市商連の「ヨーロッパ視察旅行」の時の事。自由時間にパリのエルメスのお店に行って、バックを買ってきました。商店街の視察でですよ!視察!!!信じられない…。(バレたら…ヤバイんじゃないの??)
その昔、5年程前に仕事の勉強会の仲間と上海に行った時のこと。「絶対余分なもの買ってこないで」と言ったのにも関わらず、プラダのスーツバック(16万円也)を買ってきました。若奥は「プッツン」きて、「離婚するのとバック捨てるのと、どっちがいい?」って聞いたら「バック捨てるの…」と言ったので、「じゃあ、そうするからね」
次の日「あのバックどうした?」と聞かれ「約束通り、ゴミの日に出したよ」 社長はあわててゴミ収集場に見に行きましたが…バックはもうありませんでした。「アナタに言われたとおりにしただけだよ。約束破ったあなたが悪いんでしょ!!」社長は若奥の「体育会系・大物ぶり」知ってるので、泣く泣くあきらめてました。
…と言うのは・・・実は・・・“ウソ”でーす!!!…
「ケチ」で有名な若奥が、そんなもったいない事するわけナイじゃんねー!!先日お雛様探しに実家に言った時、弟のお嫁さんが「おねえさん、そろそろ持っていったら?」と、お蔵からバックを出してきてくれました。何をかくそう・・・若奥も「かくまってもらっていた」事、すっかり忘れてました。それからベンツのトランクに積みっぱなしで、はや2ヶ月が経ち、今更どうやって渡そうか…と思ってましたが…。
このブログを見た社長へ。プラダのスーツバックはベンツのトランクに入ってます。どうぞ、勝手に、持って行って下さいませ。