そういえば…以前に「大学に行ったらホストのアルバイトをする」と言っていた息子の慎悟君。ちらっとその話をしたら「そっち系」の雑誌を持ってきて、詳しく説明してくれました。おいおい!!!何でこんな本読んでるの??もしかして・・・真剣にホストのバイト考えている???
彼は高2年生なんですが、呉服屋の5代目になる為に「京都にある大学ならどこでもいいから4年間行って、京都の環境になれる事」が条件で今受験を考えていますが。
「ねえ、立命館の学生がホストだと、学校にばれたらヤバイかな??」「別に大学なら大丈夫でしょ。かえって人気出るんじゃあない??」……すばらしい親子の会話だこと!!!でも…その前に…立命館に入れるように、勉強がんばってくださいませ!!!(うーん・・・今のままでは・・・絶対無理!!!)
後日、お店でその話をしたら「呉服屋継ぐんなら、ホストのバイトは勉強になるんじゃない??」と言うのがみんなの意見でした。でも、おじいちゃんとおばあちゃんは「まー!!ショック…」って言ってました。
確かにその雑誌を見ると東京のホストはきれいな顔をしてますが、京都のホストは「へー…この程度??慎悟くんでも十分通用するじゃん」と親バカかもしれないけど思いました。おまけに彼は調子いいし、チャラチャラしてるし…。性格もホスト向き??
「写真撮らせて」と言うと「えっ、ブログに載せないでよ」と言いながらも別に嫌な顔をせず、髪の毛を整えだしました。「だいぶ伸びたし、ストパーかけないとまとまらない」といいながら「ホスト顔」してくれました。「今度美容院にその雑誌持って行って“こういう風にしてください”っていえば??」と若奥は言いましたが・・・。
先日高校の懇談会がありました。とりあえず今回テストの成績がクラスで1番だったそうで「がんばっている」と誉めてもらいましたが、ただ、少し髪の毛と服装の乱れが…といわれたばかりでした。親が頭髪検査に引っかかる様なことを勧めてどうするんだ!!!と思いながら…。
もしも・・・本当に・・・慎悟がホストになったら。「ドンペリでも何でも入れてやる!!」…息子の売り上げのために・・・「今からお金を貯めておこう」と勝手に思っている若奥でした。
PS、慎悟くんへ
ゴメンね、写真掲載しちゃったけど、しっかり「ぼかし」掛けといたから。実物は・・・もっとカッコイイので、皆様、ご承知おき下さいませ。
いつもの事ですが、さすがに2週間連続の売りだしは・・・「きつい!!」 でも、あと1日、頑張らなきゃ・・・です。
6月2日の、父の3回忌の時、娘である若奥はお供えの花(15,000円也)を供えましたが、帰るときに弟の嫁の千恵ちゃんが「おねえさん、良かったら持って行って、お店に飾ったら?」と言う事で、「カサブランカ」を遠慮なくいただいてきました。
翌日松谷さんにお願いし、VIPルームにお花を活けてもらいましたが、売出しが始まり3日目の「ちょっと疲れた」頃、松谷さんが花瓶の水を換えながら、「奥さん、亡くなったお父さんが守っていてくれるよ」と言いました。
そうだよね、父も母も、いつでも見守ってくれているんだった・・・。今はこの「カサブランカ」がお父さんか・・・。
時々疲れて「めげ」そうになったときこのカサブランカを見て「お父さん頑張るからね」と何度思った事でしょうか。
「カサブランカ」は売出し最後の日まで、15日間も頑張って咲いてくれて、若奥を見守っていてくれました。今朝自分でお水を変えて「ありがとう」を言っておきました。
今日は「父の日」。父が亡くなってからの方が「父の日」にお父さんを思い出すのは、なぜなのでしょうか・・・。
川平屋は先週「決算市おかげさまセール」の第一弾が「大盛況のうち」に終り、また本日から第二弾が始まります。今日、新聞の折りこみ広告も入りました。先週に引き続き、多勢のお客様のご来場をお待ちしていまーす!!!
(社長へ→ちゃんとブログで宣伝してしてますから…)
「お客様への礼状」も若奥が「全員に書くぞ!!」の勢いだったのですが、社員が「自分で書いてもいいですか」との事で。自分からそういう気持ちになってくれた事が、「若奥が礼状を書く事」よりもずーと嬉しくて…。「いい社員を持って、幸せだなー…」の気分です。
さて、先週の売出しの朝、正田君が「奥さん、なんか決算市らしく元気のいいBGMないですか??」と言いました。
いつもは「癒し系」のちょっと眠くなりそうなBGMなので、それもそうだよな…と思い、「でも、T-スクェアーのグランプリくらいしかないよ」「それでイイんじゃあないですか」という事で、ベンツのトランクからCDを持って来ました。一曲目の「トゥルース」はF-1のテーマソングなのですが…若奥はこの曲を聞いて「アノ頃」を思い出してしまいました。
思い起こせば今から15年前…。まだ子供が保育園に通っていた頃の事。若奥は「おまえはパチプロか??」みたいな生活をしてました。定休日の火曜日限定で(普段は仕事してましたよ)子供を保育園に送っていったその足で、保育園から200mも離れていない「某パチンコ店」に開店10分前から「おっさん」に混じって並び、オープンと同時に走り、台を確保し…。その時、店に流れていた曲が「トゥルース」でした。
この頃、今はもう幻の台となってしまった「アレジン」という「ちよっと危ない台」に若奥ははまっていました。その台には「モーニングチャンスの設定」があったので、300円で台を移動し(禁止行為だったかも…ごめんなさい…)だいたい3台目くらいでかかって、そのまま子供のお迎えの3時半までずっとパチンコ屋で稼いでいました。自慢ではございませんが…ほとんど負けた事ありませんでした。
若奥は「ジンクス」にこだわる方で、その頃乗っていた赤のBMWで行く事、車を決まった場所に停める事、白のマニキュアをする事、シャネルのピアス、シャネルの香水をつける事などなど。。「ここに停める」と決めている場所に他の車が止まっていたら「今日はヤメ」と帰って来ました。で、3,000円以上は絶対打たない。今更ながら「意思は固かった」と思います。でも…面白い子くらい勝っていた…。近所のオジさんが「美保ちゃんいつでも箱積んでいるね」と言っていたほど。生活費もほとんどパチンコで稼ぎ。毎月20万~30万稼いでいました。生活必需品もほとんどパチンコの景品。我が家の「シャンプー」から「調味料」に至るまで「○○円」ではなく「玉○○個」というシールが貼ってありました。子供を迎えに行く時間になっても連チャンが止まらず、フィーバーのままで子供を迎えに行き、子供を膝に乗せたまま続きを打った事もたびたびありました。
でも、2年も経つと「アレジン」はこの世界から消え、若奥はショックのあまりパチンコから足を洗いました。本当に「熱」が冷めてしまいました。でも、もし、また「アレジン」の様に激しく、若奥をときめかせてくれる台が現れたら…その時はたぶんまた「はまる」と思います。
今でも「トイレ」に入っているとこの曲が流れていて「ここはパチンコ屋??川平屋??」と錯覚を起してしまいそうです。もしかして・・・まだ「パチンコ」に未練あり???
昨日、京都の問屋の「木村くん」が、「奥さん、また8月、一緒に行きますよ!!!」と言いました。そうだった!!!また「玉緒さんのご接待」があるんだった…。
「えっ??なんの事??」
この続きはまた次回に…。お楽しみに…。
PS.ティーチャー田村どの。お家の方は…いかがでしたか???
彼は若奥より3才年下、実家の弟と同い年なんですが、やっぱり「伸びている会社の社長」は・・・しっかりしている!!!若奥なんて朝っぱらから「講師の戸塚先生」と「小林社長」の間に挟まれて「伊藤さん!!夫婦仲が良くないと会社経営もうまく行かないよ・・・」(別に・・・夫婦仲悪いわけではないんだけど・・・)と、二人からしっかり「説教」(励ましのお言葉??)されてしまいました。
まあ、その日はそれで別れましたが・・・。
本日から「決算御礼・ありがとうセール」と称して「川平屋の大バーゲンの売り出し」が始まりました。おかげさまで朝から大勢のお客様にご来店していただき、「もう、いい加減・・・疲れた・・・」と内心思っていた昼の大忙し真只中に、「小林社長」より一通の葉書が届きました。「今日はいろいろなお話ができ、ありがとうございました。伊藤ファミリーの益々の幸福を心よりお祈りしています」という、まあ・・・当たり障りのない文面でしたが。
葉書を書いた日付は、名刺交換したその日でした。あの、すごく忙しい小林社長から礼状を頂くなんて・・・。それも・・・その日に・・・。そのとき忙しくて、ちょっと「イライラ」していた自分が恥ずかしくなりました。「忙しい」などと言うことは「○○が出来ない」などという理由にはならないと思いました。「試されている」だけなんだな・・・と。
今日一日で、きっとお忙しいであろうに、川平屋の売出しに来て頂いたお客様は100名以上もあり、本当にありがたく思います。そう思ったら・・・今日来て頂いたお客様に「お礼のお葉書」が書きたくなりました。本当に感謝の気持ちで「礼状を書く」という行動は、「仕事をやらされている」のではなく「自分がこれから仕事をしていく上でのパワーを生む」のような気がしてなりません。
売出しの初日の朝には、いつも「ご先祖様のお墓参り」に行っています。今朝もお墓に行き、お花を代え、お線香をあげている時に、石塔で頭をぶって、あやうく「流血騒ぎ」になるところでした。若奥は・・・もしかしたらすこしだけ「お客様に対する感謝の気持ち」を忘れかけていたかもしれない・・・。お墓で頭をぶったのは、おじいちゃんとおばあちゃんが「お客様への感謝の気持ちを忘れちゃダメだよ」と教えてくれているのだと感じ、小林社長の事も拍車となり、今すごくお客様に「感謝の葉書」を書きたいと思ってます。明日朝早く出社し、さっそく「実行」に移そうと思います。
そして・・・また明日から、そして17日まで二週間売出しは続きますが、お客様に心から「ありがとう」の気持ちを伝えるように、1日1日、頑張りたいと思います。
今回はお寺さんの都合で、午後の3時からの法要でした。田舎の法事なのでお経が1時間半(途中休憩含む)、後半のお経の途中、焼香が回ってきた4時20分、隣にいた「利子おばさん」が、「ちょうどこの時間に息を引き取ったんだよね…」とポツリ言いました。そうか…こんな時間だったんだっけ…。
父は加茂病院の病室で、母、私達子供3人、私の子供2人、長男の子供1人、父の兄弟・母の兄弟8人の多勢の人に看取られて、右手を母が握り、左手を私が握り、みんなの「ありがとう」の大合唱の中、息を引き取りました。亡くなった後に、「杉浦看護師長さん」と母が抱き合って「よく看てあげられましたね」「お世話になりました」と泣いていたのを思い出します。
三回忌のこの日、母の形見の「大島紬の1ツ紋の色無地」を着てお参りをしようと思っていましたが、出張続きで仕事がたまってて、とても着替える時間がなく、朝から着ていた黒の紬のまま、帯だけグレーの法事用の帯に替えて「お父さんごめんなさい」で出かけました。「仕事第一!!」の父なら、きっと許してくれる…と思ったからです。その代わり、娘には「母の形見のパールのネックレス」をさせました。「おかあさん、このネックレス、おばあちゃんが去年のおじいちゃんの法事にしてたやつだよね」娘も気付いた様でした。
実家に着いてすぐに、仏壇の前で手を合わせる子供たち2人の姿を見て、娘の綾花は今年から大学生になり、お化粧もし、髪も染めパーマもかけ、この2ヶ月ですっかり娘らしくなりました。そういえば…気付かなかったけど…慎悟もずいぶんたくましくなったような気がします。「子供の成長を、父と母に見てもらいたかったな…」と娘として思いました。多分きっとこの先も、たとえば成人式の時とか、結婚式の時とか、子供が生まれた時とか…ずっと「親に見てもらいたかった…」と思うに違いない…。そう思うと…本当はもっと長生きして欲しかったです。
お墓参りも、食事も済み、親戚の叔父さん叔母さん、近所の方々が帰られた後、弟2人と社長と4人で、外で日が暮れるのも忘れて話をしました。長男は父の会社を引き継いでますが、「役員になる前に会社を辞めて不動産業に転身しようかな…」なんてバカみたいな事を言い出し「何言っとるの!!」と叱られ、次男はやはり父の起してくれた会社で「今度社長になることに決めた」と言い「へーっ、頑張りなよ!!」と激励を受け、途中、近くに自販機に「缶コーヒー」を4人分買いに行ってくれた社長と「経営者の会話」をし…。亡くなった父は、多分「この光景」を望んでいたのではないか…と思います。兄弟(社長も含めて)仲良いことが、両親への最大の供養だと思うし、そうすることが、父と母への「ありがとう」だと思います。
今年のお盆には母の初盆、そして10月には母の一周忌と、長男夫婦にはお世話になりますが、お父さん、お母さん、私達兄弟はずっと仲良しで、兄弟協力していきますので…どうぞご安心くだい。あなた達が、そのように育ててくれたおかげです。ありがとうございました。あなた達の子供で良かったです。月並みな言葉ですが・・・。今度生まれ変わっても、やはりあなた達の娘がいいと思います。