川平屋の会長「伊藤康司」(うちのおじいちゃん)は、豊田ロータリークラブに入っています。時々、本社・事務所と和ギャラリー(お店)を行き来する時に、「ロータリーのトートバック」に書類を入れて持ち運んでいます。若奥はこのバックを見ると、思い出す事があります。
若奥がまだ小学校3年生の頃でしょうか・・・。遠足に行く少し前に、母親に「ねえねえ、リュックサック買って・・・」とおねだりしていたその時、母親が奥の納戸から「茶色?黄土色?」のリュクを持ってきました。それにはデカデカと「ライオンズクラブ」のあの金のマークが・・・。若奥のおじいちゃんは三好農協の組合長をやっていてその関係でライオンズクラブに入っていて、家にこういう物があったのですが・・・。
「こんなヘンなの嫌だ!!!皆みたいに赤いのとかピンクとか、かわいいのが買って欲しい!!!」そう言った若奥に、母は言いました。「あんた、なに言っとるの!!!これはね、金持ちの子しか持てないリュックなんだよ!!!」その時若奥は思いました。「そうか・・・金持ちの子しか持てないんだ・・・」
遠足当日、やはり周りの友達はみんな、赤とかピンクとか、かわいいリュックを当たり前に持っていました。その中で若奥は一人だけ・・・「黄土色にライオンズマークのリュック」でした。「ミホちゃんのリュック、変ってるね」皆に言われましたが・・・。その時「そうだよ、これは金持ちの子しか持てないんだよ」と言ったかどうかは定かではありませんが・・・。得意げに持っていた記憶があります。(イヤな子供だね・・・)今思えば、若奥の育った家庭は・・・「ちびまるこちゃん家」みたいな家庭だったかも・・・です。
若奥は・・・といえば、子供達が「学校のセカンドバック買って」と言った時に、「これ持っていきなさい。これは金持ちの子しか持てないんだよ」などとは思いもつきませんでした。やはり・・・若奥の母はすごい人でした。「若奥のルーツはこの母だ!!!」と思います。でも若奥は未だに・・・母を追い越せない・・・。(と思っているのは・・・若奥だけ???もう追い越してる???)
昨年12月、コシノ先生がご夫婦でイタリアの文化勲章「なんとか賞」(スミマセン。忘れました)を受賞され、その受賞を祝う会が「六本木ヒルズ・グランドハイアット」であり、社長と二人で行ってきました。会場の入口には・・・豪華なお花が・・・。「名札」見て2度ビックリ。さすがコシノ先生の交友の広さ・・・財界・芸能界・スポーツ界、さまざまな分野からお花が届いていました。
会場にも「山田邦子さん」「万田久子さん」「夏木マリさん」があたりまえに隣のテーブルにいらしたり・・・「さすがコシノジュンコ先生」「来て良かった!!!」(若奥はミーハー)と思いました。万田久子さんは「真っ白な無地の生紬の着物に白地の干支「いぬ」の柄の名古屋帯」帯〆も帯揚も半衿も白の「完璧な白装束」。若奥はこんなにオシャレに「究極に白」を着こなしている人を初めて見ました。若奥も今後「白に白に白」の組み合わせを、パクらせていただこうと思います。
パーティーが終わり、皆が帰った後、スタッフの方が入口の花を片づけていました。事務所・ショップに飾る花を抜いているとのこと。でも、大半を残し、花屋さんに「スイマセン、残り片づけてください」 その声を聞いた若奥は、すかさず・・・「もらってもイイですか??」
そう、東京には車で来ていたので・・・車のトランクに入るだけ、花をもらって帰りました。花を抜いている人・・・若奥だけでした。東京まで来て・・・それもグランドハイアットで・・・花抜くか??? でも若奥は「真剣」でした。「すみません、なにか包むもの頂けませんか?」
あとで聞いたら・・・「そんなこと」するのは「三河人」だけだそうですね。いいじゃんね!!!花、もったいないし・・・。花屋さんで買ったら・・・「ウン万円」するよ。それに「神田うのちゃん」の花だよ!!!そう考えただけで「とっても幸せ」「これが私だわ」の若奥でした。
“若奥は「三河人」というプライドを持ち、これからも恥ずかしがる事なく「花を抜く」事を誓います”
川平屋の奥の部屋(通称・VIPルーム)の「梅の柄のステンドグラス」。これは川平屋が3年前に現在の場所に移転した時に、古い店から若奥の「わがまま」で持ってきたものです。今から13年前、前の店が店舗改装をした時に、
ちょうどこの頃、若奥はデザイナーの「コシノジュンコ先生」と出会い、今まで着物が「和感覚」だったものが「洋感覚でも良いのではないか」と感じ、とても大きな刺激(影響)を与えていただきました。今でもコシノ先生とはとても親しくさせていただいて、時々
「梅の柄」は、コシノジュンコの振袖の柄(神田うのちゃん着用)をモチーフにしました。このデザインを使わせていただくために南青山のコシノ先生のオフィスに許可をとるなど、とても大変でしたが、先生も前の店でのこのステンドグラスを覚えていらして、新しくこの店をオープンし記念パーティーに来て頂いた時にも「あら、このステンドグラス持ってきてくれたんだ」と喜んでくださいました。
昔からのお客様も「これ見ると昔のお店を思い出すね」といって懐かしんでくださいます。あの頃の若奥は・・・仕事に一生懸命で「睡眠時間4時間半で働く」事で“私はこんなに頑張っているんだから!!”と、とんがってました。今もこの「ステンドグラス」を見ると「無我夢中で突っ走ってたあの頃」を思い出しますが・・・。
今は・・・「仕事は一生懸命にやる」 もちろんですが、「楽しく仕事をしよう」と思います。仕事は・・・楽しいですよ。“きもの”大好き“だし。毎日好きな着物が着られる・・・。私は幸せだと思います。
昨日3月3日、「日本を美しくする会」の「豊田掃除に学ぶ会」が設立され、「第1回大会・
私達のグループのリーダーさんは、朝5時に起きて、三重県からいらしたそうです。その方が言っておられましたが、「日本を美しくする会」の顧問「イエローハット」創業者の「鍵山秀三郎氏」は「汚いトイレを目にすれば誰だって最初は嫌です。でもいったん手を動かせばもう夢中です。目は臆病ですが、手には勇気があるんですね。」と常々お話しておられるそうです。確かにその通りだと思いました。「目は臆病だが手には勇気がある」良い言葉ですね。1日中ずっと私の頭の中にありました。
川平屋のトイレは・・・というと、「松谷さん」が責任を持ってトイレを掃除してくれているので、いつもきれいです。本当にありがたいとおもいます。トイレの花も「生花だとすぐダメになってしまいもったいないから」と言って、お休みの日にわざわざ「限りなく本物に近い造花」を探して買ってきてくれました。
ある日、トイレから松谷さんの悲鳴が・・・。「キャー!!!こんな所に水入れたのダレ???」造花という事に気付かなかった若い社員が、コップに水を入れてしまったのでした。それくらい本物に見えたということですね。松谷さんの「勝ち」ですよ。
“松谷さん、いつもありがとう。これからもよろしくお願いしますね。"(でも、若奥も時々・・・素手で便器みがこうと思います。そうですね・・・「自分磨き」、そして「自分の成長」のために・・・)
夜、用事があって「夢スタジオ桜工房」(川平屋直営の写真館)に行ったら、見覚えのある、ちょっと「年代モン」のアルバムが置いてありました。まさか・・・と思って中を開いてみたら・・・。「キャー恥ずかしい!!」若奥のお嫁入りの時のアルバムでした。
そう言えば先日、社長が「初めて婚礼の撮影の予約が入った」言っていましたが・・・。きっとその参考に私達の結婚式のアルバムを桜工房に持ってきたと思うのですが。「ちょっと社長!!勝手に持って来ないで!!」と思いつつも久しぶりにアルバムを見てみました。
「やだー、私ってなかなか可愛いじゃん!!」 そうなんですよ、若奥の若い頃(と言っても25歳)のなんと可愛かったことか・・・。と言いながらも・・・「今も私はアノ頃とあまり変わっていない??」と思ってたりして(笑)。
そんな事よりも・・・社長が若い!!「なんで、いつの間に、こんなになってしまったんだろう??」 と思うくらい。あの頃は「細かった」そして「髪の毛がフサフサ」。「貫禄」と言えばいいけれど、すっかり「オッサン」になってしまいました。(川平屋のホームページに現在の社長の写真あり)
そう言えば若奥は、お父さん(今は亡くなってしまったけど)が47才の時にお嫁に行きました。今社長は、その父と同い年(47才)になりました。へー・・・この年で娘を嫁がせたんだ・・・。まだ若かったのに。どんな気持ちだったんだろう・・・。そう思うと、感慨深いものがあります。
今なら「期間限定」でヒミツのアルバムが桜工房においてあります。「怖いもの見たさ」でアルバムを見たい方は・・・桜工房にどうぞお出かけ下さいませ。