今、夜中に、思いついたまま、ブログ書いてます。
川平屋の母が突然「くも膜下出血」で亡くなってから、昨日、スタッフの皆様の協力のもと成人式を無事終えるまで、何がなんだかわからない毎日、ただただ今日まで突っ走ってきました。。
本日、1月13日,豊田市の成人式、川平屋では300名のお客様のヘアーメイク・着付けをお世話させていただき、成人式会場に送り出しました。
正月前(12月17日)から本日まで休みなしで27日間無休で働きました。「もういい加減にいやだ!!仕事なんかしたくない!!」と思った時期も正直ありましたが、本日のお客様からの「ありがとう」で何処かに行ってしまいました。「仕事のストレス・疲労」を吹っ飛ばすのは「仕事の達成感」だなーとつくづく感じています。
今、目覚まし時計が突然鳴って、びっくりしました。2時20分。そう言えば…昨日はこの時間に起きていたんだ…。さすがに今日は「真剣に眠い」のと「ホッとして気が抜けた」のとで、夕方食事もせずに7時から12時まで、こたつで寝てしまいました。途中、寝てて気付かなかったけど、社長から「寿司でも買っていこうか?」のメールが入ってました。
ブログをお休みしていた間に・・・いろいろなことが起こり、「ネタ」がいっぱいです。お楽しみに!!!
いつもの事ですが、さすがに2週間連続の売りだしは・・・「きつい!!」 でも、あと1日、頑張らなきゃ・・・です。
6月2日の、父の3回忌の時、娘である若奥はお供えの花(15,000円也)を供えましたが、帰るときに弟の嫁の千恵ちゃんが「おねえさん、良かったら持って行って、お店に飾ったら?」と言う事で、「カサブランカ」を遠慮なくいただいてきました。
そうだよね、父も母も、いつでも見守ってくれているんだった・・・。今はこの「カサブランカ」がお父さんか・・・。
時々疲れて「めげ」そうになったときこのカサブランカを見て「お父さん頑張るからね」と何度思った事でしょうか。
「カサブランカ」は売出し最後の日まで、15日間も頑張って咲いてくれて、若奥を見守っていてくれました。今朝自分でお水を変えて「ありがとう」を言っておきました。
今日は「父の日」。父が亡くなってからの方が「父の日」にお父さんを思い出すのは、なぜなのでしょうか・・・。
先日、やはり「眉山」を見に行って感動した!!…と言う、京都の問屋の営業マン「小林くん」(先回の若奥のブログにコメントをくれたのが彼です)が川平屋にやって来ました。今回、川平屋がオリジナルで企画・製作した黒紋付(喪服の事)、その名も…「絆(きずな)」の商品説明・企画説明をする為です。若い社員を前に、「“眉山”の中で、松嶋菜々子が母の着物を着ていたシーンに感動した」と力説してました。「親が子を思うが故に、娘のために用意する…それが“絆”」と言ったかどうかは…すみません…忘れてしまいましたが…。
若奥のお母さんは昨年10月、卵巣癌で亡くなりました。母の葬儀の日、若奥は母が用意してくれた黒紋付が一式あるにもかかわらず、喪服の帯は母の帯を結び、葬儀に出席しました。この事は、誰も知らないと思います。
母が亡くなってから、母の遺言もあり、着物はほとんど「一人娘」の若奥が貰いました。その日以来、何か「頑張らなきゃ」の時(母に見守って欲しい時)には、何か1つ、母の物を身に付けるようにしています。本当はまだ娘として母に甘えたかった…ずっと私のそばにいて欲しかった…そんな気持ちが心のどこかにあるからでしょうか…。
今回、川平屋オリジナルで黒紋付「絆(きずな)」を企画・制作し、「絆とは・・・」「なぜ黒紋付は必要か・・・」を収録した「黒紋付DVD」なる物を製作しました。このDVD撮影のために京都まで行きました。着物研究家の「毛利ゆき子先生」に監修をお願いし、若奥と毛利先生の対談のシーンもありますが、その収録の日も、母が大好きでよく着ていた「結城紬のうさぎの柄の帯」と「珊瑚の帯留め」をしていきました。
6月2日、父の3回忌には、若奥は母が法事によく着ていた「1ツ縫紋入り、泥染の大島の無地のきもの」を着ようと思います。「父の一周忌までは死ぬわけにはいかない」と、去年の今頃、もう自分は長くないとわかっていたであろうに、抗癌剤治療中に病院を一時退院し、一周忌をつとめた母。喪主である弟がみんなの前でお礼の挨拶をし、「哲っちゃんがこんなに立派に挨拶が出来る様になって…」と感動して泣いている「敦子おばさん」の姿を見ながら、「哲史もお父さんに代わって立派に挨拶が出来るようになったし、なによりあんた達兄弟が仲がいいし…。もう私は安心してお父さんの所に行けるわ…」と言っていた母。それから5ヶ月で、父の所に行ってしまいましたが・・・。
「母と娘の絆」は…母がなくなった今も、永遠であると信じています。今現在、私にも娘がいて、そして…私と娘「綾花」の絆も、これから徐々に築いていけたら・・・と思います。母が私にしてくれたように…。
袴の着付け本日で終了しました!!!
「気をつけて行ってらっしゃい♪」たった今、今年最後の袴のお客様(渡辺さん)を送り出しました。
若奥は、この1ヶ月ほぼ毎日「16時間労働(朝6時から夜10時まで)」してました。(よく働くなー・・・でも給料は・・・変らない)毎年この卒業式シーズンはこんな感じなのでもう「慣れっこ」です。今年も3月2日から24日まで23日間連続で、約158名のお客様に袴の着付けをしました。社長は「お客様から袴の着付け代金を頂くように・・・」と言うのですが、若奥は「絶対着付けはサービスで!!!」と言って譲らない"かわいくない女"です。「私がするんだから私の好きなようにするから。料金を頂くと、私は"仕事させられている"という気持ちでしか仕事できないと思うけど、サービスで着付けをさせて頂くのなら楽しく仕事が出来る」これは誓って本心で思っている事です。社長になんと言われても、「着付けサービス」は譲るつもりはありません。
今年は川平屋の売出しと重なったので、なるべく社員には負担をかけないように・・・と、着付け担当の「村上さん」と二人で"意地"になって頑張りました。(袴の支度・メンテナンスも、ほとんど村上さんがやってくれました)おかげで社員の手伝いは1日だけで済み、売出しに集中できたのではないかと思ってます。本当に村上さんには感謝しています。「鈴村さん」と「貴ちゃん」は「よかったら手伝いますよ」との事で、何日も手伝ってくれました。社員のそういう気持ちは「いっぱいいっぱい」の時には、本当に嬉しかったです。
最初の頃は朝早くても「バッチリ化粧をして、着物着て」でしたが、一週間も過ぎた頃から気合も無くなり「ほぼスッピン・髪の毛ボサボサ・ジャージに毛が生えたような服装」という、ほとんど見られない「若奥のレアな姿」でした。これを見られたお客様、とても貴重な物が見られて「おめでとうございます」
なにわともあれ・・・時間に遅れるお客様もなく、とりあえず"やれやれ"です。若奥はこの1ヶ月余裕がなくて、夜もほとんど外出してなかったので(普通、主婦&母親は夜には外出しない?)、今は以前から決めていた「プチ家出計画」を遂行しようとワクワクしてます。あたりまえじゃあないですか!!!いくら「好きで仕事をしている」と言っても「先に楽しい事=ごほうび」がないと仕事は頑張れないのが"若奥"です!!!「家出先」は「毎年恒例」で決まってますが、またそのご報告はブログでさせていただきます。
とりあえず・・・村上さん、社員の皆さん、そして“自分”に「お疲れ様でした!!!そして本当にありがとうございました!!!」