昨年12月、コシノ先生がご夫婦でイタリアの文化勲章「なんとか賞」(スミマセン。忘れました)を受賞され、その受賞を祝う会が「六本木ヒルズ・グランドハイアット」であり、社長と二人で行ってきました。会場の入口には・・・豪華なお花が・・・。「名札」見て2度ビックリ。さすがコシノ先生の交友の広さ・・・財界・芸能界・スポーツ界、さまざまな分野からお花が届いていました。
会場にも「山田邦子さん」「万田久子さん」「夏木マリさん」があたりまえに隣のテーブルにいらしたり・・・「さすがコシノジュンコ先生」「来て良かった!!!」(若奥はミーハー)と思いました。万田久子さんは「真っ白な無地の生紬の着物に白地の干支「いぬ」の柄の名古屋帯」帯〆も帯揚も半衿も白の「完璧な白装束」。若奥はこんなにオシャレに「究極に白」を着こなしている人を初めて見ました。若奥も今後「白に白に白」の組み合わせを、パクらせていただこうと思います。
パーティーが終わり、皆が帰った後、スタッフの方が入口の花を片づけていました。事務所・ショップに飾る花を抜いているとのこと。でも、大半を残し、花屋さんに「スイマセン、残り片づけてください」 その声を聞いた若奥は、すかさず・・・「もらってもイイですか??」
そう、東京には車で来ていたので・・・車のトランクに入るだけ、花をもらって帰りました。花を抜いている人・・・若奥だけでした。東京まで来て・・・それもグランドハイアットで・・・花抜くか??? でも若奥は「真剣」でした。「すみません、なにか包むもの頂けませんか?」
あとで聞いたら・・・「そんなこと」するのは「三河人」だけだそうですね。いいじゃんね!!!花、もったいないし・・・。花屋さんで買ったら・・・「ウン万円」するよ。それに「神田うのちゃん」の花だよ!!!そう考えただけで「とっても幸せ」「これが私だわ」の若奥でした。
“若奥は「三河人」というプライドを持ち、これからも恥ずかしがる事なく「花を抜く」事を誓います”
川平屋の奥の部屋(通称・VIPルーム)の「梅の柄のステンドグラス」。これは川平屋が3年前に現在の場所に移転した時に、古い店から若奥の「わがまま」で持ってきたものです。今から13年前、前の店が店舗改装をした時に、
ちょうどこの頃、若奥はデザイナーの「コシノジュンコ先生」と出会い、今まで着物が「和感覚」だったものが「洋感覚でも良いのではないか」と感じ、とても大きな刺激(影響)を与えていただきました。今でもコシノ先生とはとても親しくさせていただいて、時々
「梅の柄」は、コシノジュンコの振袖の柄(神田うのちゃん着用)をモチーフにしました。このデザインを使わせていただくために南青山のコシノ先生のオフィスに許可をとるなど、とても大変でしたが、先生も前の店でのこのステンドグラスを覚えていらして、新しくこの店をオープンし記念パーティーに来て頂いた時にも「あら、このステンドグラス持ってきてくれたんだ」と喜んでくださいました。
昔からのお客様も「これ見ると昔のお店を思い出すね」といって懐かしんでくださいます。あの頃の若奥は・・・仕事に一生懸命で「睡眠時間4時間半で働く」事で“私はこんなに頑張っているんだから!!”と、とんがってました。今もこの「ステンドグラス」を見ると「無我夢中で突っ走ってたあの頃」を思い出しますが・・・。
今は・・・「仕事は一生懸命にやる」 もちろんですが、「楽しく仕事をしよう」と思います。仕事は・・・楽しいですよ。“きもの”大好き“だし。毎日好きな着物が着られる・・・。私は幸せだと思います。
昨日3月3日、「日本を美しくする会」の「豊田掃除に学ぶ会」が設立され、「第1回大会・
私達のグループのリーダーさんは、朝5時に起きて、三重県からいらしたそうです。その方が言っておられましたが、「日本を美しくする会」の顧問「イエローハット」創業者の「鍵山秀三郎氏」は「汚いトイレを目にすれば誰だって最初は嫌です。でもいったん手を動かせばもう夢中です。目は臆病ですが、手には勇気があるんですね。」と常々お話しておられるそうです。確かにその通りだと思いました。「目は臆病だが手には勇気がある」良い言葉ですね。1日中ずっと私の頭の中にありました。
川平屋のトイレは・・・というと、「松谷さん」が責任を持ってトイレを掃除してくれているので、いつもきれいです。本当にありがたいとおもいます。トイレの花も「生花だとすぐダメになってしまいもったいないから」と言って、お休みの日にわざわざ「限りなく本物に近い造花」を探して買ってきてくれました。
ある日、トイレから松谷さんの悲鳴が・・・。「キャー!!!こんな所に水入れたのダレ???」造花という事に気付かなかった若い社員が、コップに水を入れてしまったのでした。それくらい本物に見えたということですね。松谷さんの「勝ち」ですよ。
“松谷さん、いつもありがとう。これからもよろしくお願いしますね。"(でも、若奥も時々・・・素手で便器みがこうと思います。そうですね・・・「自分磨き」、そして「自分の成長」のために・・・)
本日は「バレンタインデー」
「大好きな仕入先営業君・ベスト10」には佐川急便・山本君に「お願い・・僕のノルマまだ達成できていないから・・・チョコ送る所ない???」とお願いされた「佐川急便宅配チョコ」を送ったので「これでもう大丈夫!!!」と油断していたら・・・。
今日、3月に行う呉服の展示会の商品説明会があり、朝一番に着物染色家の「杉本正博先生」から「シルクオーガンジーのショール」と「漆染めの財布」を頂いてしまいました。「これ僕のオリジナル・・・というか、奥さんの為に作りました」
「ゲッ・・・杉本先生のチョコ・・・忘れてた!!!」 とりあえず何でもいいから・・・と、そこら辺にあったチョコを紙袋につめ、ついでに本日商品説明に来る予定の問屋さんの分とジャックスの岡田さんの分・合計10個、店内主任・尾崎さんに作ってもらいました。
あとから聞いたら・・・中身は社長が高いお金をつぎ込んだであろう・・・「パチンコの景品のチョコレート」金額にしたらきっと「高級」だと思うけど・・・。喜んでもらってくれて「やあ、お返しが大変だなあ・・・」みたいなことを言っている問屋さん・・・ごめんなさい!!!お返しは・・・なくていいですよ。
はじめまして。川平屋の通称「若奥」でございます。
「若奥」と言っても年齢は・・・40歳+αですが、まだ主人(社長)の母「大奥様」が健在なので「若奥」です。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
若奥の休日の過ごし方 -その1-
本日火曜日は定休日。休みの日には必ずご先祖様の墓参りに出かけます。 場所は豊田市梅坪町の安長時。このお墓には、112年前に川平屋を創業した「伊藤吉三郎おじいちゃん」と「ナツおばあちゃん」、そのあとを引継ぎ豊田市の歴史の保存の為に、商工会の発展の為に尽くした「俊郎おじいちゃん」と、頑張って商売をし川平屋の歴史を作ってきた伝説の「リキエおばあちゃん」が眠っていて、私はいつも一週間の川平屋のご報告をしに行きます。呉服屋というものは信用第一。お客様とお話しする中で「創業112年にもなる」と言うことはお客様にもお店を信用していただけて、これもみな・・・ご先祖様のおかげ・・・と思って、これからも毎週欠かさず、お墓参りを続けるつもりです。
写真に撮ってきた我家のお墓・・・後に「変なもの」が写っていたら・・・ごめんなさい。
お墓の隣に「平芝公園の梅林」があり、梅がちらほら咲いていました。 もうすぐ・・・春ですね。